ビジターの日本人がカレーを作ってくれるというので、材料を買いに
いそいそとマーケットに向かった。時間は19時を回っていた。
案の定マーケットは閉まっており閑散としていた。
ちょうど、帰り支度をほぼ終えた、野菜売りのおばちゃんを発見、
野菜を無理やり頼んで売ってもらった。
肉売りのおばちゃんをすでにいなかったので、野菜売りのおばちゃんに
「肉くれ肉」というと、「あっちで売っているよ」といった。
場所がわからなかったが、近くにいた娘さんが案内してくれた。
その家に行くと、どうも違うらしく「あっちにいきな」とさらに奥の道に
入った。
そこの家族たちは夕食中だった。
肉をください、と頼むと、
「牛肉か、豚肉か」と聞いたので「豚」と答えると「豚はない」とのこと。
「じゃぁ牛で」と頼むと、「とりあえず夕飯を食べていけ。もってくるから」
夕飯のカレーのために食材を買っているのに、夕飯をごちそうになってしまった
わけなんだけれど、話をきいていると「ムスリム」らしい。
「アッラー、アッラー?」と聞くと、そうだ、との回答。だから豚はないんだね。
哀しいジョークだ。
現在、ファクトリーに受け入れる女性を決定するため
村の中で調査をしている。
ある家で、女性が言った。
「100$持ってきたら結婚してあげる」
カンボジアでは、結婚する場合、男性側が女性側の家族に結納金を
支払う。貧しい人で1000$〜といわれている。貧しい男性にとっては厳しい
額ではあるけれど、みな一生懸命お金をためるわけだ。
(日本のように子どもが実家に仕送りをする、という事は少ない。
ので、親は老後?はこのお金を使ってすごすんだと思われる)
100$でもいいから結婚して、旦那を持ち、旦那に稼いでもらいたい、
ということだと思う。本人はジョークとして言ったようだけれども・・・。
さて、クラスをわけたのはいいものの一つの問題が発生した。
上のクラスは、リーダーを選んでその人が先生と相談しながら内容を決定するこ
とに決まったようだ。
リーダーはSさん。彼女は両親が亡くなるまでは、比較的裕福だったようで子ど
もだったころには英語も学んでいた。
しかし、現在は両親をなくし、とても小さな家に住んでいる。
このSさんは字の読み書きはトップクラスらしい。できるワーカーに比べてもず
ばぬけているそう。
ところが問題は、まだ20歳になっておらずまだまだ子どもなところだ。
スタッフ曰く、「本当は先生役をやりたいんだけれど、自分からは言わない。そ
れで指名されると、最初はがんばるが、
ちょっとやなことがあると、もう辞めたいなどと不満を言う」そうだ。
リーダー役の選出は、スタッフが指名したようで、それも災いした。
他のワーカーからすると、「普段、あんまり態度よくない彼女がなぜリーダーな
のか」ということ。
どうすればいいのか、と喧々諤々。
スタッフから「投票がいいんじゃないか」という意見がでた。
そこから議論が発展してみんなで話し合って決めていく、そういうプロセスが大
事だという結論に。
そして、そうやってワーカーが自分たちで決めていくことを学ぶこと自体が彼ら
にとって大切ということにも気づけた。
識字教室の形式を最近変更した。
二つのクラスにわけたのだ。
ワーカーによって、まったく出来ない子、けっこう出来る子でばらばらだったか
らだ。
実は当初から二つのクラスに分けるという構想であり、作成されているカリキュ
ラムにもにもそうかかれているが、
さすがカンボジア人、まったく無視して一つのクラスでスタートした。
なぜ、そうするのか、と聞いてみたところ
「おーごめんよー忘れてたよー」とのこと。
そこで、一つのクラスでもよいから、先生がうまく指導することにしたのであっ
た。
しかしながら案の定、一番出来ない子がついていっていないという問題が起きた。
それはそうである。小学二年生と四年生が一緒に授業を受けるどころか、
小学一年生と小学六年生が一緒に授業をうけているようなものだから。
そこで、スタッフから「二つのクラスに分けたい」と言ってきた。
そして、実行。下のクラスは先生が教え、上のクラスは自分たちで学ぶことに決
定。
行くこと30分ぐらい。小さな小屋につきました。
漁業局?の小屋だそうです。
このあたりは乾期になると魚が集まってきます。
他の場所では水が干上がるからです。
そのため、乾期には禁漁地域になっているそうです。その管理をしているそうで
す。
いぐさが大量に自生していました。もうすでに年老いたいぐさということで、使
えるかどうかわかりませんが試してみます。
小屋にあがると、魚を焼いていました。取りたての新鮮です。個人的に魚が大好
きなのでとてもラッキーでした。
あとはサボテン?のようなものも食べました。食感的にはひまわりの種に近いで
す。
ボートで戻ると、子どもたちがかものはしカーの上で遊んでいました。
いぐさ栽培について調べています。現在は、いぐさ自体はカンダール地方(日本
で言うと千葉県?)から仕入れています。
以前は、いぐさをマットにしたものをカンダール地方から仕入れていましたが、
いまはマットは自分たちで製作しています。
近くでいぐさが自然に自生しているということで、その調査です。
スタッフとトレーナー、ワーカーと一緒に行きました。
この地域は雨季にだんだんと水かさが増えていきます。
そのため家は他の地域にもまして高床になっています。
どの家でも小さなボートを持っています。
お寺も高床です。とても風光明媚な場所です。
途中まで車が行き、あとはボートにのっていきます。
ボートの操縦を担当させてもらいました。なかなか難しいです。
浮き草が大量にあるので、操縦をちょっとミスすると、スクリューに浮き草が絡
まり動かなくなります。
カンボジアの篠原大使のお話を伺う機会があった。
大使、というと、なんだか遠い印象を持つかもしれない。
しかし、篠原大使はなんと、カンボジア語がぺらぺら。
最後には、カンボジア語でスピーチをされていた。
こんな大使はもう二度と現れないのではないか、といわれている。
大使は、67年の夏(ポルポト、内戦の前!)に外務省の人間としてカンボジアに
やってきた。
カンボジアを学ぶのが役割だったそうだ。
大使は大学に行って学ばせてもらおうと思ったが、文化協定?がカンボジアと日
本で結ばれていないため断られた。
「まぁそう堅いことをいわずに」と交渉を試みたが断れた。
次に小学校に行ってみた・・・小学生はぺらぺらで、勉強についていけなかった
(笑)
そうこうして、寺にも3ヶ月滞在したことがあるらしい。
なんて庶民的な大使なんだろうと思った。
カンボジアは内戦が終わったあと、まったくゼロからスタートしたわりには、よ
く頑張っているとのこと。
ただし、バランスの取れた経済成長ができていない(貧富の格差をさすと思われ
る)、行政の組織力が弱い、発展のためには大きなグランドデザインが必要であ
るなどの問題があるそう。
賄賂の問題はドナー間の会議では必ず話題になるが、なかなか一筋縄ではいかな
い、とのことあった。汚職防止法が作成されているが、審議がとまっているのは、
刑法が出来ていないから。
大使からすると、カンボジアは「親切の国」ということで、日本人が忘れてしま
ったものがあるだろうとのこと。それでも、戦前に比べると、その親切さも失わ
れてしまったということであった。
ポイペトという国境の町にいってきた。
以前に訪れたときに比べると、だいぶ発展していた。
シェムリアップ-ポイペトルートも完全に舗装された。
3-4時間で到着する。(以前は8時間ぐらいだったとおもう)
買春宿にいってみた。子どもはそう簡単に帰る状況ではなかった。
店の人に聞いてみると「ポリスこわい」ということであった。
女性たちは、とにかく、マッサージをさせろとしつこかった。余裕がないようで
あった。
カンボジアから貧しくてやってられない人は、このタイとの国境の町にやってく
る。
ごみ拾いをしたり、シンナーをすっている子どもたちを多く見た。
物乞いやストリートチルドレンはどのくらいカンボジアにいるんだろ。
”未亡人”というキーワードもカンボジアではよく聞く。
一つはタイにだんなが出稼ぎにいってHIV/AIDSに感染して死亡
もう一つは内戦時代に死亡。
もう一つは旦那さんは外に女をつくって、家から逃げてしまう(よく聞く)
写真はカジノ。
カンボジアでは違法になったカジノだけれど、国境での外国人向けのカジノは合
法。
カンボジア人は賭けちゃだめ。タイ人が驚くほどいた。そして、国境はパスポー
トなしでさくっと往来できた・・・。